プロスピA 2015年現役引退のレジェンドたち
プロ野球スピリッツA(プロスピスマホ)の配信を前に、現役引退を発表したレジェンドたちについて紹介しています。
クライマックスシリーズまであとわずか。
今シーズン、数々のレジェンドを残し惜しまれつつ現役引退を発表した名選手たちについてまとめました。
現役は引退しても、プロスピAでは永遠に活躍してくれることでしょう。
小笠原道大(おがさわらみちひろ)
1973年10月25日生(41歳) 愛称「ガッツ」
ヘルメットが落ちるほどのフルスイングが特徴。
1996年にドラフト3位で日本ハムファイターズに入団。
2006年には日本ハムを日本一へ導き、同年のFA宣言で読売巨人ジャイアンツへ移籍することとなる。
2002年から2年連続で首位打者となり、日本を代表する打者となり、2011年5月5日には川上哲治、長嶋茂雄、張本勲に続く4番目の早さで2000本安打を達成している。
その後怪我等により成績不振が続くが、出場機会を求めて2014年2度目のFA宣言で中日ドラゴンズへ移籍する。
ここぞという時の代打の切り札として活躍するも、2015年戦力外通告を受け引退を決意する。
19年の現役生活であった。
2016年からは二軍の監督就任が決まっている。
山本昌(やまもとまさ)
1965年8月11日生(50歳) 本名は山本昌広。
左投左打の投手。
愛知県最強のラジコンレーサーとしても有名で数々の大会で功績を修めている。
1983年にドラフト5位で中日ドラゴンズに入団して以来32年間、中日一筋のプロ生活を送る。
2006年には日本プロ野球史上最年長41歳でノーヒットノーランを達成している。
その後2012年にはセ・リーグ最年長勝利記録、プロ野球史上最年長先発勝利記録を更新する。
多くの選手の入団から引退までを見送ってきたが、2015年引退を表明した。
谷佳知(たによしとも)
1973年2月9日生(42歳)
1996年にドラフト2位でオリックス・ブルーウェーブに入団する。
1年目からレギュラーとして、イチローや田口壮と共にオリックスの主力として活躍する。
2006年には読売ジャイアンツに移籍し、不動の2番レフトとしてチームの優勝に貢献した。
その後は、代打の切り札として活躍するも、オフに戦力外を受け、再び古巣のオリックスへの移籍を果たす。
2015年9月11日時点、2000本安打まであと73本としていたが、翌日の9月12日に現役引退を発表した。
斎藤隆(さいとうたかし)
1970年2月14日生(45歳)
右投左打の投手。
1991年にドラフト1位で横浜ベイスターズ(当時:横浜大洋ホエールズ)に入団。
1996年、プロ入り初の2桁勝利を上げ、206奪三振でタイトルを獲得する。
1998年にはリーグ優勝、日本一に貢献し、日本シリーズ優秀選手賞も受賞する。
2006年以降、メジャーリーグへ挑戦し、ロサンゼルス・ドジャースはじめボストン・レッドソックス等と契約するも、結果を残せずに終わる。
両親が地元仙台でプレーすることを望んでいたこともあり、2013年楽天ゴールデンイーグルスに入団した。
楽天時代は、登板回数は少ないものの、リリーフの切り札としてポストシーズンまで好投し、チーム初の日本一に貢献した。
森本稀哲(もりもとひちょり)
1981年1月31日生(33歳)
松坂世代の1人で、1998年ドラフト4位で日本ハムファイターズへ入団する。
新庄から特に可愛がられ、新庄の引退後は背番号1の後継者となる。
レギュラーとして活躍しながら、パフォーマンスなどファンサービスにも熱心で球界全体で人気がある。
度重なる怪我で成績不振が続き、二軍生活が続く。
2011年からは横浜DeNAベイスターズ、2014年には埼玉西武ライオンズに移籍するも、2015年現役引退を発表した。
和田一浩(わだかずひろ)
1972年6月19日生(43歳) 愛称は「ベンちゃん」
1996年ドラフト4位で西武ライオンズに入団。
入団当初は出場機会に恵まれなかったが、2000年以降は3割30本マークするなどレギュラーとして活躍した。
2007年には地元岐阜に近い中日ドラゴンズに移籍する。
特に2010年は開幕当初から絶好調で、38歳にして最高出塁率のタイトル、セ・リーグMVP、ベストナインを受賞する。
2015年には史上3人目となる、両リーグでの1000本安打を達成した。